梁山(ヤンサン)という街を歩いていて、梁山川(ヤンサンチョン)沿いにずっと気になっていた建物がありました。近づいてみると「双碧楼(サンビョンヌ)アートホール」という文化施設で、1階は250席のコンサートホール。ただ、今回足を運んだのはコンサートではなく、2階にひっそりと設けられた無料のミュージアムが目的でした。韓国の「国民的テノール」と呼ばれた厳正行(オム・ジョンヘン)という声楽家の音楽人生が、ここにそのまま残されています。
目次
【基本情報】梁山の隠れた名所「双碧楼アートホール・厳正行ミュージアム」の営業時間・アクセス・駐車場まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 双碧楼アートホール — 厳正行ミュージアム(2階) |
| 住所 | 慶尚南道 梁山市 新基江辺路26 |
| 開館時間 | 10:00〜17:00 |
| 休館日 | 日曜日・月曜日、韓国の法定祝日 |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | 建物前に無料駐車場あり(約12台) |
| 公式サイト | ssangbyeoklu.ycf.or.kr |
※価格は1円≒8.5ウォンで換算(2026年9月時点)。為替レートにより変動する場合があります。
釜山からのアクセス
梁山は慶尚南道(キョンサンナムド)に属する街で、行政上は釜山とは別の自治体です。ただ、実際の暮らしぶりは釜山のベッドタウンそのもので、毎日多くの住民が釜山へ通勤・通学しています。日本でたとえると、東京に対する埼玉や千葉、大阪に対する奈良のような関係に近い街です。公園やサイクリングロードが多く、釜山の市民が週末にキャンプや自転車を楽しみに訪れることも少なくありません。
地下鉄の場合: 釜山地下鉄2号線で梁山駅まで行き、梁山2番マウルバスに乗り換えます。マウルバスとは、韓国の住宅地や郊外を短い区間で結ぶ小型の地域循環バスのことです。日本のコミュニティバスに近い存在と考えるとわかりやすいかもしれません。6つ目の停留所「ヘチョンタン(海天湯)」で下車し、そこから徒歩約10分(約700m)で到着します。
車の場合: 釜山市内から約30〜40分です。建物前に無料駐車場(約12台分)があります。
2026年12月開通予定: 梁山線(ヤンサンソン)という新しい都市鉄道(軽電鉄)が開通する予定です。釜山地下鉄1号線の終点・老圃(ノポ)駅や釜山総合バスターミナルからの乗り入れが可能になるため、アクセスがさらに便利になる見込みです。
梁山はユネスコ世界文化遺産に登録された通度寺(トンドサ)の所在地としても知られていますが、日本語の旅行情報はまだ限られています。だからこそ、双碧楼アートホールのような場所に出会えたときの「見つけた」という感覚は、旅の楽しみとして格別なものがありました。

建物の由来 — 朝鮮時代の楼閣「双碧楼」
双碧楼(サンビョンヌ)という名前には歴史的な背景があります。かつて梁山邑城(ヤンサンウプソン)という城郭の中に、朝鮮時代(1392年〜1897年)に建てられた楼閣がありました。その楼閣は「嶺南七楼(ヨンナムチルル)」の一つに数えられたほどの名所で、嶺南とは韓国の東南部地域を指す歴史的な呼称です。日本の「名勝」に近い概念だと思うとイメージしやすいかもしれません。

現在のアートホールは、その楼閣の姿を現代建築として再解釈した建物です。すぐ横を流れる梁山川との調和もあって、ただのホールとは違う落ち着いた雰囲気がありました。1階がコンサートホール(250席)、2階が展示スペース(現在は厳正行ミュージアム)、3階には大きなガラス窓のあるカフェテリアがあり、公演の前後にひと休みできるようになっています。
今回はコンサートが目的ではなかったので、そのまま2階へ向かいました。
厳正行ミュージアムへ

ミュージアムはひとつの広い部屋で構成されていますが、中に入ると資料の密度に驚きました。形だけの展示ではなく、一人の音楽家が生涯をかけて集めたコレクションがぎっしりと詰まっていたのです。
バレーボール選手からテノールへ

韓国の歌曲(カゴク)— 後ほど詳しく触れますが — に詳しい方なら、厳正行(オム・ジョンヘン)という名前はすぐにわかるかと思います。私はこの訪問で初めて知ったのですが、調べるほどに興味深い経歴の持ち主でした。
1943年、この梁山で生まれた厳正行は、中学・高校時代はバレーボールの選手として活動していました。大学入試を目前にして声楽に転向したというのですから、かなり思い切った決断だったと思います。さらに驚いたのは、イタリアやドイツへの留学が当然とされていた時代に、海外留学を一度も経験せず、すべて韓国国内で実力を積み上げた「純粋な国内育ち」だったという点です。慶熙(キョンヒ)大学校音楽大学で32年間教授を務め、生涯で1,500回以上のコンサートを行いました。

代表曲「木蓮花(モンニョンファ)」には、こんなエピソードが残っています。作曲家の金東振(キム・ドンジン)の前で60回以上歌い直し、ようやく合格をもらったそうで、それ以来、楽屋での愛称は「60番」だったとのことです。
1970〜80年代の韓国では、クラシック声楽の分野でありながらアイドル並みの人気を誇ったといいます。「悲木(ビモク)」(名もなき墓標)、「家に帰りたい(カゴパ)」、「懐かしのクムガンサン(金剛山)」といった曲は、韓国では卒業式や国家行事で歌い継がれてきた作品です。
ちなみに、梁山は人口規模の割に著名な出身者が多い街でもあります。韓国のアイドルグループ・aespa(エスパ)のメンバー、ウィンター(Winter)もこの梁山で育ったそうで、ジャンルはまったく異なりますが、小さな街から生まれる才能の厚みのようなものを感じました。
展示内容
厳正行が生涯を通じて収集し、自ら寄贈した個人コレクションが展示されています。
| 展示カテゴリー | 数量 |
|---|---|
| 音楽CD・レコード | 1,200枚以上 |
| オペラ・公演映像 | 80作品 |
| 音楽関連書籍・楽譜 | 約500冊 |

壁面にはアーカイブ映像を流すモニターがあり、その隣にヘッドフォン付きの試聴コーナーが設けられています。自分のペースで座って聴くことができる静かなスペースで、韓国語の歌詞がわからなくても、声楽の技術や感情の起伏は十分に伝わってきます。

韓国初の歌曲レコード — その誕生の裏側
展示の中で、最も印象に残ったのがこの部分でした。
1975年以前、韓国には歌曲(カゴク)の商業レコードが一枚も存在しませんでした。歌曲とは、韓国語の詩にクラシックの曲をつけ、声楽家がピアノ伴奏とともに歌う芸術歌曲のことです。日本でいえば、卒業式で歌われる「仰げば尊し」や「蛍の光」のような、公の場で大切に歌い継がれてきた唱歌(しょうか)に近い存在だと考えるとわかりやすいかもしれません。ただし、唱歌が誰もが歌えるように作られた平易な楽曲であるのに対し、韓国の歌曲はあくまで専門の声楽家が歌う芸術作品という位置づけです。また、韓国にはパンソリという伝統的な語り歌もありますが、パンソリは太鼓一つの伴奏で物語を語る劇的な形式で、ピアノ伴奏のもと詩を歌う歌曲とはまったく異なるジャンルです。
コンサートでは確かな地位を築いていた歌曲ですが、レコード会社はどこも商業的な可能性を見出していませんでした。当時まだ無名だった厳正行は、自らレコード会社に掛け合いましたが、返ってきたのは門前払いだったそうです。
それでも諦めず、3ヶ月をかけて作曲家や作詞家を一人ひとり訪ね歩き、著作権の許諾を自力で取り付けました。そうして完成したのが、韓国音楽史上初の歌曲商業レコードです。
このレコードがFM放送で流れると、誰も予想しなかった反響が起こりました。歌曲のコンサートに人が押し寄せ、ラジオ局がクラシック声楽の番組を増やし、ライブでしか聴けなかった芸術が一気に全国の家庭に届くようになったのです。
その時代の原盤レコード、書簡、宣伝資料がこのミュージアムに展示されています。規模は小さくとも、韓国の音楽史においてもっと知られてよい転換点が、静かにまとめられていました。
寄贈されたピアノと、窓の向こうの景色

出口の手前に、一台のピアノが置かれていました。厳正行本人が寄贈したものです。そのすぐ横にある大きなガラス窓からは、梁山川沿いの緑が自然に目に入ってきます。密度の高い展示を見終えたあとに、ふっと息をつけるような場所でした。
帰り際に、受付で無料のパンフレットと厳正行の歌曲CDをいただきました。入場料も無料のミュージアムで、CDまでいただけるとは思っていなかったので、ちょっとした驚きでした。

建物を出ると、梁山川沿いにベンチが並んでいて、しばらく座って周囲の景色を眺めていました。観光地の賑わいとは無縁の、静かで穏やかな時間でした。
梁山川の野花園 — すぐ隣に広がる季節の花畑

双碧楼アートホールのすぐ横、梁山川の河川敷には野花園(やかえん)が整備されています。季節によって咲く花が入れ替わります。
| 季節 | 時期 | 見頃の花 |
|---|---|---|
| 春 | 4月〜5月 | 菜の花 (黄色い花畑が一面に広がります) |
| 夏〜秋 | 7月〜10月 | サルスベリ(百日紅)— ピンク・赤・白・マゼンタの花が密集して咲きます |

サルスベリは日本でもおなじみの花ですが、韓国では「百日紅(ペギルホン)」と呼ばれ、文字通り「百日間咲き続ける赤い花」という意味です。漢字表記が日韓で同じというのも面白い共通点です。
私が訪れた9月には、サルスベリがちょうど満開を迎えていました。川沿いの両岸をピンクや赤の花が埋め尽くし、澄んだ秋空との対比がとても美しかったです。韓国の方にもまだあまり知られていない場所のようで、人の姿はほとんどなく、写真を撮るにも散策を楽しむにも静かな環境でした。花の季節に合わせて訪問される場合は、ミュージアムの前後に20〜30分ほど余裕を持っておくと、ゆっくりと楽しめます。
まとめ
双碧楼アートホールでは、チケット制の公演のほかに無料コンサートも開催されることがあります。私が訪れた時期には、10月8日(木曜日・19:30開演)に「The Jazz Voyage」というクラシックとジャズを融合した無料公演が予定されていました。公式サイトに公演スケジュールが掲載されているので、梁山を訪れる際にタイミングが合えば足を運んでみるのもよいかもしれません。
梁山にはインターナショナルクラスのホテルはなく、宿泊施設はモーテル(韓国の地方都市で一般的な簡易宿泊施設)が中心です。釜山から地下鉄でつながっているので、日帰りで訪れて夕方に釜山へ戻るのが最も実用的な回り方です。
もし一日かけて梁山を巡るなら、見どころは想像以上に充実しています。


通度寺を訪れる多くの方は本堂周辺だけで帰ってしまいますが、本堂から徒歩約25分(約1.3km)の場所にある西雲庵(ソウナム)まで足を延ばすと、水中に沈められた螺鈿漆器や16万枚の陶磁大蔵経といった、ほとんどの観光客が知らないまま通り過ぎてしまう静かな驚きに出会えます。
双碧楼アートホール、野花園の散策、そしてこれらの周辺スポットを組み合わせれば、釜山の定番コースとは一味違う一日が過ごせるはずです。観光客の姿がほとんどないこの小さなミュージアムで、一人の音楽家が歩んだ道のりに静かに触れる時間は、旅の中でもどこか特別な余韻を残してくれるように感じました。
【よくある質問・FAQ】梁山 双碧楼アートホールの入場料や釜山からのアクセス方法を徹底解説
双碧楼アートホールの入場料はかかりますか?
いいえ、2階にある厳正行ミュージアムは完全に無料で入場できます。予約も不要で、開館時間(10:00〜17:00)内であれば自由に観覧が可能です。火曜日から土曜日まで開館しており、日曜・月曜・韓国の法定祝日は休館です。出口では無料のパンフレットと厳正行の歌曲CDもいただけます。
釜山から双碧楼アートホールへの行き方を教えてください。
公共交通機関の場合、釜山地下鉄2号線で梁山駅まで行き、梁山2番マウルバス(地域循環の小型バス)に乗り換えます。6つ目の停留所「ヘチョンタン(海天湯)」で下車し、徒歩約700m(約10分)で到着します。車の場合は釜山市内から約30〜40分で、建物前に無料駐車場(約12台分)があります。2026年12月には梁山線(軽電鉄)が開通予定で、釜山地下鉄1号線の老圃(ノポ)駅からの乗り入れが可能になるため、さらにアクセスが向上する見込みです。
厳正行(オム・ジョンヘン)とはどのような人物ですか?
1943年に梁山で生まれた韓国のテノール歌手で、「国民的テノール」と呼ばれています。中高時代はバレーボール選手でしたが、大学入試前に声楽に転向しました。当時の韓国ではイタリアやドイツへの留学が一般的でしたが、海外留学を経ず、すべて韓国国内で実力を積み上げた経歴の持ち主です。慶熙大学校音楽大学で32年間教授を務め、生涯で1,500回以上のコンサートを行いました。また、1975年に韓国音楽史上初となる歌曲の商業レコードを自ら企画・制作した人物でもあります。
韓国の歌曲(カゴク)とは何ですか?日本の唱歌との違いは?
歌曲は、韓国語の詩にクラシックの曲をつけ、声楽家がピアノ伴奏とともに歌う芸術歌曲です。日本でいえば、卒業式で歌われる「仰げば尊し」や「蛍の光」のような唱歌に近い存在ですが、唱歌が誰もが歌えるように作られた楽曲であるのに対し、韓国の歌曲はあくまで専門の声楽家が歌う芸術作品です。また、韓国にはパンソリという太鼓一つで物語を語る伝統芸能もありますが、ピアノ伴奏で詩を歌う歌曲とはまったく異なるジャンルです。K-POPとも別の系譜に属しています。
コンサートがない日でも双碧楼アートホールを訪れる価値はありますか?
はい。2階の厳正行ミュージアムはコンサートの有無にかかわらず、開館時間内であれば常時観覧できます。ヘッドフォン付きの試聴コーナーでアーカイブ録音を聴いたり、公演映像を視聴したり、1,200枚以上のレコードや500冊の書籍が展示されたスペースをじっくりと回ることができます。また、建物のすぐ横の梁山川沿いには野花園が広がっており、春(4〜5月)は菜の花、夏〜秋(7〜10月)はサルスベリ(百日紅)が見頃を迎えるため、散策と合わせて訪れるのもおすすめです。
双碧楼アートホール周辺で他に訪れるべき場所はありますか?
梁山市内にはいくつかの見どころがあります。車で約30分の場所には、ユネスコ世界文化遺産に登録された通度寺(トンドサ)があり、本堂に仏像を置かない独特な寺院として知られています。梁山市立博物館は、新羅(シルラ、古代朝鮮の王朝)時代の金製装飾品や半跏思惟像などの宝物を無料で展示しています。食事であれば、韓国で人気の寿司ビュッフェチェーン「クウクウ」の梁山店で₩23,900(約2,800円)の食べ放題を楽しむことができます。釜山まで地下鉄で戻れるため、これらのスポットを組み合わせた日帰り観光が最も実用的です。
梁山川沿いの野花園はいつ頃が見頃ですか?
双碧楼アートホールのすぐ横にある梁山川の野花園では、春(4〜5月)に菜の花が一面に咲き、夏から秋(7〜10月)にかけてはサルスベリ(百日紅)がピンク・赤・白・マゼンタの花を密集して咲かせます。サルスベリは日本でもおなじみの花で、韓国語でも「百日紅(ペギルホン)」と同じ漢字で呼ばれています。韓国の方にもあまり知られていないエリアのため、人が少なく、写真撮影や静かな散策に適しています。花の季節に合わせて訪問する場合は、ミュージアムの前後に20〜30分ほど余裕を持つとゆっくり楽しめます。
※価格は1円≒8.5ウォンで換算(2026年9月時点)。為替レートにより変動する場合があります。

